「柱」の心
- 2025.05.03
世の中はGWである。私は昨日まで今日が祝日であることを忘れていた。普通に土曜日の診療があると思っていた。経営者の感覚とはそのようなものである。経営者にとって「経営は命」であるのだから。
今こうしてブログを書いている私は、自らのクリニックにいる。私は前回のブログに「真の優しさとは強さの中にしか存在しないのではないか?」と書いた。突然だが、皆さんは「鬼滅の刃」の中で最も好きなキャラクターは誰だろう?
私の患者さんの中には、「先生は煉獄さんだよ~」と評してくれる方がおられるが、私が最も好きなのは「風柱・不死川実弥」である。「炎柱・煉獄杏寿郎」にしても「風柱・不死川実弥」にしても、また他の「柱」にしても共通するのは、「優しさは強さの中に存在する」ということである。
私は患者さんに自分を寄せるという診療スタイルを取らない。それが表面的なものでしかないと感じるからである。患者さんの人生のことを真剣に考えるのであれば、患者さんとぶつかることも厭わない。仮に私が表面的な優しさを見せた時には、それは実は患者さんの人生に対してもはや私が興味を失った時である。
前回のブログでは、「自分にとっての幸せとは、『日々の達成の積み重ね』である」とも書いた。その幸せの本質とは何か?高級時計や高級車、豪華な家、そんなものには興味がない。私は目に見えて形として残るものには興味がない。48年も生きてきた人間が、私利私欲のために生きて何の意味があるのか?そんなものは一厘も社会のためにならない。
「1000人のリウマチ患者さんを幸せにする」と今までも私の目標を掲げてきたが、最近はこれも通過点の一つに過ぎないのではないだろうかと感じるようになった。私が経営者として学び続け成長し、既存の概念を払拭し新しい形を生み出せば、より多くの患者さんを幸せにできるのではないだろうか?「柱」の痣の発現の如く、自分自身の遺伝子の限界に挑戦するのである。
経営者は承認欲求を持ってはならない。私はご先祖様に自らを認めてもらうではなく、不謹慎かもしれないが、ご先祖様を「唸らせてみたい」。明後日は久しぶりに帰省する。仏壇の前で自らが生かされていることに感謝しよう。そして、必ず「実現」することを誓おう。