山霧

  • 2024.06.07

 霧がかった山を登る。山の頂はおろか、10m先も見えない。自らが登っているのか、下りているのか、それすらも分からない。

 見えないものを信じることは非常に難しいことである。確かにそこに「ある」と視認できてこそ、人は安心し、それに向かって進むことができる。

 時にその霧が晴れ、山の頂が見える。その姿は遥か彼方にある。そしてまた霧の中を進む。再び霧が晴れ、山の頂が見える。その光景は、先程と全く変わらない。その時、自分の無力さに打ちひしがれ、愕然とする・・・

 しかし、この心理状況は、果たして根拠のあるものだろうか?山の頂だけではなく、今まで自らが歩んできた道を振り返った時、その光景は確実に変わっているはずである。着実に山の頂に向かって進んでいるのである。

 25年契約の2年2ヶ月・・・まだ1合目にも満たない。霧の中を歩みを止めず進めば、やがて霧は晴れ、山の頂はすぐ目の前に見えるようになるだろう。そのために必要なものは、愚直なまでに自らを信じ切る強い心のみである。