「指示出し」・・・過去の自分に対する批評

  • 2024.10.09

 今回は「指示出しの難しさ(2022.10.18)」に対する自らの批評である。

 ちょうど2年前に書かれたこの文章を読んでみると、これは完全に経営者失格の内容である。それは、経営の本質を明らかに理解していないと感じるからである。

 経営は労使間の契約から始まる。その契約とは、「雇用者が被雇用者に対して命令・指示を行い、それを被雇用者が実行することによって得られる成果に対して、雇用者が被雇用者に対して報酬を支払う」というものである。

 つまり、雇用者が被雇用者に対して命令・指示を行わないということは経営を放棄しているに等しい。そして、自分自身は命令・指示を出したつもりであっても、それが被雇用者に伝わっていない場合や、指示・命令の内容が曖昧が故にその解釈が幾通りも存在する場合には、命令・指示は雇用者の意図通りには実行されない。それらはすべて雇用者の責任である。

 労使関係とは異なるが、2009年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で、イチローを敬遠せずに決勝打を打たれた場面はまさにそうである。その時の韓国の監督の表情および試合後のコメントがすべてを物語っている。

 組織のトップは、現場任せにせずしっかりメンバーに命令・指示を出さなければならないし、常にその命令・指示が他の解釈のない明瞭なものであるのかどうか、そしてしっかりメンバーが理解できたものであるのかどうか、さらにそれがしっかり実行されているのかどうかを事細かく確認する必要がある。

 ちなみに、トップの命令・指示にメンバーが従わないというのは論外であり、これはどの組織の就業規則にもあるように罰則対象となる。世の中にはそれさえも理解していない者が多いように思われるが・・・閑話休題

 そこまで確認を行った上で、メンバーによって実行され生じた結果を報告する指示も欠かさず行わなければならない。組織において最終決定権はトップでしかない。現場からのフィードバックをもとに自らの判断を軌道修正する必要があるのか、それともそのまま突き進むのか「決断」するのである。トップは日々「決断」の連続であるが、「決断」のもととなる前提条件を徹底しなければ、誤った「決断」を下すことになってしまうのである。

 病院勤務の場合、多職種の中でのヒエラルキーの頂点にあるのは医師であるため、医師は自分が動かなくても周りがカバーしてくれるだろうと思っている節がある。しかし、同じような感覚で開業をすると、組織統制がなされず、いつの間にか手遅れの状態になってしまうことさえある。

 組織マネジメントとは緻密で繊細なものである。メンバーが仮に「なんでこんな細かいことまで・・・」と思ったとしても、「細かいことでさえしっかりできひんのやったら、大きい仕事なんかできるわけないやろ」がトップの答えである。