洛星中学校・・・インプットの宝庫
- 2022.08.05
私は中高の六年間、洛星という学校に通った。その制服(夏服)は独特の灰色であり、たまに京都に出かけた時も一目でそれと分かる。伝統色で表すのなら、灰汁色(あくいろ)だろうか?現在、京都で中高一貫の男子校は洛星のみである。
堅田駅から湖西線で京都駅まで出て、地下鉄に乗り換え今出川駅で下車した後、市バス203系統に乗って北野白梅町で降りる、片道1時間半の行程である。
洛星という学校は、自由な校風であると同時に、中学1年生に対しても大人としての振る舞いを求める学校である。当時のゲェタン・ラバディ校長は、『Let’s be responsible.』と自由が持つ責任の意味を常に私たちに投げかけられていた。
洛星中学校の授業を振り返ると・・・
漢文の授業では白居易の詩を中国語で読む先生がいた。教室中が、尊敬の念と好奇心の塊で騒めいた記憶がある。詩の意味を理解した後に、皆で中国語で読んでみると、その音や込められた思いの美しさに感嘆させられた記憶がある。
物理の授業では、『すべてはF=maなんだよ(Fとaはベクトル表示)君たちは微分積分ができないのか?仕方のないやつらだな』と中学生相手に微分積分を教える先生がいた。公式は覚えるものではなく、その背景にある本質を理解することが重要であることを学び、このような簡単な式ですべてを説明できてしまうことに美しさを感じた記憶がある。
先生方は我々に、小手先のテクニックではなく常に『本物』を提供しようとしてくれていた。『学び』と『遊び』の本質が同一であることを教えてくれた。
進学校としては凋落したと言われて久しい母校だが、この『本物』のインプットが20年後30年後に社会で花開く人材を生む『名門校』であることはきっと今でも変わらないであろう。(主)