洛星の襷

  • 2022.08.23

 本日、京都で開業されている洛星中学校・高等学校の3年先輩の先生から、患者さんの紹介があった。患者さんの京都から長浜への転居に伴い、私へ紹介して下さったのである。

 先生とは数年前より個人的な交流があり、コロナ流行前は定期的に京都で飲み会をしていた。お互いがお互いに『変人』と思っているが、これは『変わった面白い奴』という意味であり、本校出身者はこういうのが多い。ちなみに、弁護士の角田龍平君は私と同級生である。

 私のことを理解できる人は正直なところ私の周りには誰もいないが、先生は恐らく私の一番の理解者であろう。私の話す言葉を正しく咀嚼して自らの言葉で解説できる人は、少なくとも現時点で他に見当たらない。

 病院に通院しているリウマチ患者さん(もちろん、リウマチ患者さんに限らないのだが)は、しばしば医局の人事異動により数年ごとの主治医交代を余儀なくされる。これは、リウマチ患者さんからすれば大変なストレスだろうと思う。完治という概念がないこの疾患と、ずっと寄り添ってくれる医師がいないわけであるから。主治医交代と言いながら、そもそも『真』の主治医はいないのだ。一方で、医師側からすれば、この人事異動は患者さんに対して最終的な責任を負わなくとも良いという、無責任な安堵感をもたらす。

 その点、我々開業医は背負う責任が違う。もちろん、いい加減な開業医が多々いるのも事実だが、我々は違う。先生も私もハートで診療をしている。今までの苦い経験をどう生かすべきか常に反省しながら診療している。自分ができることを自慢するような陳腐な人間ではない。すでに出来ることなど興味のないことであって、出来て当たり前のことである。今の自分に何ができないかを問い続ける属種である。

 今回私が受け取った襷を、我がスタッフはどのように見ているだろうか?恐らく誰も気付いていないだろう。医師という職業はそれだけの重みのあるものである。だからこそ、不完全な自らの襟を常に正す姿勢が求められる。今回紹介いただいた患者さんにとって『真』の主治医であれるように。尊敬する先輩からの襷は受け取ったばかりである。(主)