母親が伝える父親像
- 2022.09.19
9月は休日が多いですね。今日は大型台風が近づいているので、皆さん自宅籠りですかね?
私は、講演会のスライド作りや骨粗鬆症学会オンデマンド配信の視聴に追われています。住処には私自身の部屋はないので、決して静かな環境で仕事ができるわけではなく、子供たちのケンカや泣き声、ピアノ演奏などを聞かされながら、リビングで仕事をしているのです。こんな環境にもすっかり慣れてしまいました。「心頭滅却すれば火もまた涼し」とはよく言ったものです。
子供たちからすれば、こんな休日の過ごし方をしている父親ってどのように映るのでしょうかね?幼稚園や小学校のイベントに参加することもほぼ皆無ですからね・・・
振り返れば、私の父も開業医でしたので、父が学校のイベントに顔を出すことはあまりありませんでした。小学校の授業参観で両親が出席した際には、椅子の上で体を捻じって教室の後ろをずっと見、横並びになった大人の中から両親を見つけた時には、何となく小恥ずかしいような気分になったことを記憶しています。
父親が子供に遺せるものは、結局のところ生き方、生き様なのかなぁと思います。背中で語るというと昭和世代の考え方なのかもしれませんけれど、その背中で語っている意味を正しく子供に伝えるのは、母親の役目ではないかと思うのです。
子供が淋しい思いをしていたとしても、「お父さんの代わりになる人はいないのよ。そんなお父さんのことを誇りに思いなさい」という母親の教えが教育というものではないかと思うのです。これは、父親と母親がお互いのことを尊重し合った関係でこそ初めて成り立つものでしょう。
私が考える夫婦関係とはこのようなものである。そしてその考えは、幼少の頃の私の心に植え付けられた母の教えそのものなのかもしれない。(主)