「隔世の感」
- 2024.11.23
昨日外来終了後、ある製薬会社の社内研修会で講演するため、京都へ行って参りました。
紅葉の季節ということもあり、外国人・日本人問わず、ものすごい人・人・人・・・オーバーツーリズムという言葉を最近聞くことが増えました。何もそこまで京都に集中する必要がありますかね?これは決して滋賀県民の嫉妬ではなく、寺院だって静寂の中で自らの心と向き合うからこそ真に訪ねる意味があると思うのですが・・・
滋賀県にだってたくさんの寺院があります。国宝に指定されている建造物・仏像・絵画もたくさんあります。酒蔵もたくさんあります。「國酒」である日本酒を絡めて、滋賀県を外国人だけでなく日本人にもこじんまりとしながらも、じっくり・静かに・深く知ってもらう京都と層別化したツアーってできそうな気がするんですけれどもね。
さて、今朝8時過ぎの新幹線に乗るために、京都駅構内を移動中に・・・
京都駅構内でこんな素敵なイベントやっているのに開始は11時・・・「特別に朝呑みブース作ってくれんかな?」と思いながら、泣く泣く通過致しました。
新幹線ホームに到着すると、乗車しようと思っていた新幹線の1本前の電車がトラブルのため京都駅で長時間の停止(結局1時間半ぐらい停止していたようです)・・・「なんて日だ」と思いながら20分ほどホームで待機していましたが、いつ運転再開されるのか不透明でしたのでここで「決断」、在来線で帰ることにしました。
在来線に乗ってみると気づいたことがあります。
「スーツを着ているのは自分しかいない」
別に車内の会話を盗み聞きしようと思ったわけではありませんが、耳に入ってくる会話の中に仕事に関する内容はありません。
「世の中の休日とはこのようなものなのか?24時間365日、頭の中が仕事のことで満たされている(仮に日本酒のことを考えていても)人間は、経営者などごく一握りなんだろうなぁ。」
私は常に頭をフル回転させています。難しい場面に遭遇しても何か打開策はないのか?それがダメであっても他に方法はないのか?より良くするための方法は何か?目標を達成するために具体的に何をすべきか?どこまで耐えるべきか?どこかで決断すべきか?人を動かす言葉とは何か?・・・・・
おそらく、ほとんどの人が休みの日に考えないような内容でしょう。ですから、「他人が自分を理解することが難しい」ということを私は理解しています。
タイトルの「隔世の感」は、本来の意味とは異なる使い方をしています。世の中が変わったわけではなく、自らの立場が変わったので、世の中が変わったように見えるのです。2024.11.15:「変化」でも書いた通り、変化とは相対的なものです。
しかし、せめて私にも、自分にとって大切な人についてじっくり考える時間が欲しいと感じた在来線での1時間でした。