「AIが茂輝を分析してみた」

  • 2025.10.12

 私は昨日クリニック診療終業後、京都である大切な人と食事をした。その方は、私のブログをAIで分析した結果を持参してくれた。その結果を一部紹介すると、

「自らの原理原則に基づいた生き方に強い誇りを持っており、他人の評価には左右されにくい」

「医師・経営者としての『指揮官』的立場を自覚し、日々の業務遂行と結果検証にやりがいを感じている」

「『SAKE DIPLOMA INTERNATIONAL』など医業以外にも挑戦する姿勢から、自己成長や知的探求に喜びを見出している」

「AIってすげえなぁ。その辺の人間より圧倒的に洞察力深いやん」と思わず唸ってしまった。

 他人は私の生き方をしばしば「ストイック」と呼ぶ。AI分析でも「非常にストイックで内省的な人物像」というコメントがあったが、実はちょっと違う。当の本人はストイックとは全く思っていない。「これが当たり前」という感覚でしかない。他人とは生きている次元が違うから当然である。なお、誤解のないように言っておくが、これは他人の生き方をバカにしているわけではなく、自らそういう生き方を選択しそれを特別なものではなく当たり前の次元にまで昇華させた結果なのである。

 ワークライフバランス(2025.10.09)でも書いたが、私は週80時間以上働いていても頗る健康で元気である。スタッフが毎日、「(呆れるほど)元気そうで何よりです」「(呆れるほど)幸せそうで何よりです」と言わずにいられないぐらいに・・・

 では、どのようにして私がその元気・幸せを手に入れているのか?その答えは、上述のAI分析の文章の中に見出せる。それは、「幸せという定義を他人とは全く異なるものに置換している」ことにある。

 先週 SAKE DIPLOMA INTERNATIONAL 試験が終了してから、私は簿記の勉強を再開している。年内の簿記3級合格が公約だからだ。再開とはいうものの、この2ヶ月間毎朝起床後の15分を「仕訳特訓20問」に充ててきた。久しぶりにテキストを開いてみると、2ヶ月前にメモしていた内容のレベルの低さに驚く。また、2ヶ月前に解くことができなかった問題も解けるようになった。「自分成長してるやん。やっぱ正しい努力は嘘つかへんで~」って自画自賛する瞬間が私の幸福である。ちなみに、私は承認欲求は持たない。だから、自ら元気となるパワーを産生することができる。

 そして、幸せの種は日常診療にもたくさん落ちている。私は毎日50以上の指示を出していると以前のブログでも述べた。6時前からクリニックで仕事をするわけだが、1日の診療の流れを徹底的に頭の中でシミュレーションする。そして具体的な指示出しを列挙していく。「事前の一策は事後の百策に勝る」まさにこれを実践しているのだ。もちろん、シミュレーション通りに遂行されないことも多いわけだが、それは不可避なものであったのか?事前の読みが甘かったのか?ヒューマンエラーなのか?と徹底的に分析し改善点を見出す。スタッフ3人という少数精鋭でもうまく回った時には、「桶狭間の戦い」で今川義元を討ち取った織田信長を想像し幸せに浸るのである。

 こんな幸せは他人には真似できないでしょう。それは生き方が違うから。幸せとは覚悟を決めたその先に待っているものだと思う。多くの人は「決断」ができない。「断ち切ることを決める」ことができない。そんな人には一生幸せなんて訪れないよ。幸せは自分で掴み取るもの。