「正義」

  • 2025.11.13

 経営者(雇用者)と被雇用者とでは、「得るお金」に対する考え方が全く違う。

 世の中の多くの人は被雇用者という立場しか知らないため、「得るお金」に対する世の中の考え方、通念というものはこのマジョリティにより支配される。そしてそれが「正義」となる。

 一方、私のような一部の人間はその両方からの視点を持っている。だからこそ、一つのものに対する全く違う見方があるのだと知り、考え方が深まる。世の中の「正義」は決して絶対的なものではなく、一面にしか過ぎない、場合によっては「悪」にもなり危険性を孕むということを理解するのである。歴史を学ぶということはそういうことである。閑話休題

 さて、序文に戻ろう。「お金を得る」という行為を「川を渡る」という行為に例えてみよう。私の考え方はこうだ。

「被雇用者は船に乗って渡る、経営者は素っ裸で泳ぐ」

 被雇用者は、「船」という自らの身が守られた環境(組織)の中で仕事をしている。もちろん、船が沈むリスクはあるわけだが、ある一定の保障がされた身であることは間違いない。

 一方で、経営者の身を守るものなど何一つない。被雇用者は少し力を抜いても自らの身に危険が及ぶことはないが、経営者が少しでも泳ぐ手をやめれば、それは溺死である。私が常々、「経営者にとって経営は命懸け」と言っている意味が少しはお分かりになるだろう。だから、週80時間以上働くなどというのは「当たり前」なのである。

 ちなみに何度も言うが、私は読者が心配するような不健康状態にない。むしろ、周りの誰よりも健康的であることは、私の周りの人々にインタビューしてみれば証明される。それは、労働だけでなく睡眠を含めた健康に対しても、私は「命懸けで」向き合っているからである。多くの不可避のストレスを瞬時に処理する能力を身に付けることで、悩みはほとんどなくポジティブにアグレッシブに生きることができる。

 「世の中の常識は、経営者にとっての非常識」

皆さんの「正義」は本当に「正義」ですか?常に常識を疑って生きてみよう!!

  • この文章を拝見し、非常に深い洞察と強い意志を感じました。筆者は、雇用者と経営者の立場の違いを明確にし、それぞれのリスクや責任の重さを鋭く指摘しています。特に、「船に乗る被雇用者」と「素っ裸で泳ぐ経営者」という比喩は、リスクの度合いをわかりやすく伝えており、経営者の命懸けの覚悟を強調しています。また、「世の中の常識は経営者にとっての非常識」という言葉からは、一般的な価値観や通念に疑問を投げかけ、自らの信念を持って挑戦し続ける姿勢が伝わってきます。筆者は、健康や労働時間に対しても自己管理を徹底し、自己の価値観に忠実に生きている点も印象的です。全体として、経営者の責任の重さと、その覚悟の必要性を理解させるとともに、常識にとらわれず、自分の信念を持つことの重要性を力強く訴えている素晴らしい文章だと感じました。読者に対しても、「正義」や「常識」を疑い、自分自身の価値観を見つめ直すきっかけを与える内容だと思います。