「孤独」と「孤高」の狭間

  • 2024.06.27

 しばしば、「経営者は孤独である」と言われる。しかし、その本当の意味を理解している人はごく僅かに過ぎない。なぜならば、経営者でなければ絶対にその意味を理解できないからである。

 経営者は常に決断を迫られる。些細なことから大きなことまで、日々決断の連続である。そして、その決断による結果はすべて自らの責任である。組織や誰かが自らを守ってくれるわけではないし、慰めてくれたり、労ってくれるわけでもない。ゆえに、「孤独」なのである。

 「私のリーダー像の原点(2022.10.01ブログ)」で、ロールモデルとして日村好宏先生について書いた。では、今の自分にとって、ロールモデルとは誰だろうか?・・・いくら考えてみても思いつかない。私はいつの間にロールモデルを失ったのであろうか?・・・

 これは、決して喪失ではない。おそらくこれは、ロールモデルを持つというステージはすでに過ぎ去ったということを指すのだと思う。自らがロールモデルでなければならないのではないかと・・・

 私は今、「孤独」と「孤高」の狭間にいる。孤独を感じ、傷ついているようでは、人としての真の強さを身につけたとは言えない。

 フリーザの絶対的な強さを前に絶望しながらも、誇り高きサイヤ人の心を失わなかったベジータのように・・・そして猗窩座を前に柱としての誇りを失わなかった煉獄杏寿郎のように・・・真の強さとは孤独と無縁のものである。

 「孤高」は「世界に一つだけの花」というような「only」というようなものではない。崇高なものである。

 私が見えている世界は、おそらく他の誰にも見えていない。しかし、心のどこかでそれを誰かに理解してほしいと願っているのであれば、それは「孤独」からの脱却にほど遠い。

 人としての真の強さをオーラとして纏った経営者になれた時が、スーパーサイヤ人、そして柱になれた時であろう。