「契約」

  • 2024.09.03

 作為の結果も不作為の結果も全て自らの責任である。それが経営者である。

 私は中高6年間カトリックの学校で学んだ。週1回「宗教」の時間があった。新約聖書の教えには、「与えることによって与えられ、許すことによって許され・・・」このような言葉があったように記憶している。

 学校の道徳の時間で学ぶことあるいは、宗教の時間で学ぶこととは反するが、経営をしていると、人を信じないということの大切さも学ぶ。

 そこからフラットな判断基準が生まれる。人の評価は単純明快である。