「ご褒美」という概念
- 2025.04.03
人は何か達成した際、しばしば「ご褒美」と称して普段できない食事や旅行、買い物をする。
一方、私には世間でいうところの「ご褒美」という概念がない。私はすでに達成したものに対して興味がない。「ご褒美」には過去の成功や栄光に囚われてしまう恐れを孕んでいるからである。
しかし、私の「ご褒美」は世間一般と概念が異なるだけであって存在しないわけではない。
例えば、昨年秋の日本ソムリエ協会 SAKE DIPLOMA 試験の際には、試験2週間前に非常に高額な日本酒を購入した。その値段を書くと読者にドン引きされるので伏せておくが、普通酒でなく特定名称酒であれば、4合瓶は1500~2000円が一般的である。
私はこれを合格後に飲むのではなく、試験前に飲むのである。「こんな高いお酒飲んだ以上、合格せんかったらタダのアホやろ。絶対に合格したる。」と自らにプレッシャーをかけて試験に臨むのである。
合格後に試験勉強からの解放感の中味わう高級酒もいいものだが、試験前にプレッシャーを自ら与えながら飲む高級酒も格別である。何故なら五感を総動員して神経を研ぎ澄まして飲むと、香り・味わい・余韻それらすべてをより繊細に感じることができるからである。
三重県に「而今(じこん)」という木屋正酒造さんの有名な銘柄の日本酒がある。「而今(にこん)」は本来禅語であり、「今」「ここ」を意味する。「而今(じこん)」には過去にも囚われず未来にも囚われず、今をただ精一杯生きるという意味が込められている。
私は過去には囚われないが、未来に囚われて今を生きている。経営者は未来を自ら創造していかなくてはならない。自分が経営者であることの意味は、私利私欲のために生きるのではなく、社会のために自らの能力を発揮し、社会をより良くすることである。そのマインドのない人は、経営者になるべきではない。お金儲けばかり考え、理念のない人は論外である。
「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか。弱き者を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません。弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。」「煉獄瑠火の言葉(2023.01.20)」