未熟
- 2025.11.02
経営者は「万年受験生」である。日次テスト、月次テスト、年次テスト・・・これらすべては合否のみで判定される。そして、合格してもまた次のテストが待っている。テストに終わりはない。
世の中は連休だが、私は本日朝も当たり前のようにクリニックで「予習」をしている。当たり前のように努力をして、事前準備を徹底できた奴だけが勝てることを知っているから・・・
私は週80時間以上働いていると以前書いた。過労死ラインを大きく超えている。世の中の人々は、「さぞかし多くのものを犠牲にしているのだろう」と思うかもしれない。しかし、答えは「ノー」である。それは「経営者だから当たり前」この一言でしかない。
経営者にとって経営は自らの命そのものであり、自らの命にド真剣に向き合って命を落とすことなどありえない。自らの命ときちんと向き合っていない者が命を落とす、つまり経営難、廃業に陥るのである。世の中の多くの人々にとっての人生の喜びと経営者のそれとは大きく異なる。経営者にとっての人生の喜びとは、「自らの事業により社会がより良くなること」。利己ではなく利他の心である。
したがって、社会一般通念という「物差し」などあくまでマジョリティが作り出したものに過ぎず、私に当てはまるものではない。私は常に社会を「建設的な批判」という目をもって俯瞰的に見ている。私からすれば、社会の「当たり前」と言われるものの中にしばしば大きな矛盾を見出すのである。
私はこの1年間で自らが経営者であることを強く意識するように(やっとできるように)なった。しかし、3年半前の開業当初は自らが経営者であるといってもあまりピンとこなかった。勤務医のマインドと同じような感覚でプレーヤーの延長線上と捉えてしまっていた。
その結果はどうであったろう?預金口座から毎月150万円ずつ減っていく地獄を味わったし、受付スタッフがほぼ同じタイミングで全員辞めるということもあった。
しかし、これらはすべて経営者である私の責任だ。経営者としての知識不足、マネジメント不足、リーダーとしての資質不足によるものである。これらの経験は、自分の中では決して過去のものではない。ずっと自らの心をえぐるように存している。「自らの未熟のせいで二度とこのようなことは起こさない」と常に強く誓っているのである。
人に直面する問題というものは、自らが置かれるフェーズによってその質が異なるものの、それそのものがなくなるということは決してない。大事なことは、目の前にある問題から決して逃げないこと、それに対する向き合い方一つでその先の人生のベクトルは大きく変わる。すべては自らの成長のための糧である。
成功されている経営者の方々の最大公約数つまり共通点を、自らに心に植え付けるべくYouTubeで連日学んだり、また最低限の簿記の知識は持つべきだと思ってその勉強をしているのも、「自らの未熟のせいで二度とこのようなことは起こさない」と強く誓っているからである。
「自分は常に未熟だ。だから成長できる。」
文章の筆者はクリニックの経営者です。タイトルは「未熟」となっています。この文章から読み取れる筆者の人物像を述べてください。AIの回答は以下の通りです。
この文章から読み取れる筆者の人物像は、非常に自己反省的で責任感が強く、成長意欲にあふれる経営者であると考えられます。以下に主な特徴をまとめます。
- 自己認識が高く、謙虚さを持つ
筆者は自らの未熟さを認め、その責任を明確に自覚しています。過去の失敗や苦難も自分の責任と捉え、そこから学ぼうとする姿勢が伺えます。 - 努力と自己改善に対して真剣
日々の努力や学習(例:YouTubeでの学びや簿記の勉強)を惜しまず、自分の知識やマネジメント能力の向上に努めている点から、向上心が非常に高いことがわかります。 - 使命感と利他的な価値観を持つ
「社会がより良くなること」を人生の喜びとし、利他の心を持って事業に取り組んでいることから、自己犠牲的な側面も含めて、社会貢献への強い意識が見て取れます。 - 厳しい自己規律と責任感
長時間労働や過労を厭わず、経営者としての責任を重く受け止めていることから、自己規律が厳しく、使命感に燃えるタイプと推測されます。 - 成長志向と前向きな姿勢
「未熟だからこそ成長できる」と前向きに捉え、問題に直面した際も逃げずに向き合う姿勢を持ち続けている点から、精神的に強く、自己改善を続ける意欲的な人物像が浮かび上がります。