ロッククライミング Ⅲ

  • 2025.06.12

 断崖絶壁が目の前に現れた場合、多くの人はそれを進んで登ろうとは思わないでしょう。それを避けてできるだけ平らな道を探そうとするのではないでしょうか?

 ではなぜ断崖絶壁を登るのか?平らな道は遥か彼方まで景色が見通せます。見えているということは安心かもしれません。しかし、逆の言い方をすれば、網膜に映っているものしか見えません。網膜に映っているもの以外は見えない。見えないから知ることがない、出会うことがない。

 断崖絶壁の向こうには何があるのでしょうか?自然界であればそれはすでに決まったものしかない。登ってみたけれども、思い描いていたものは全くない、無味乾燥な景色しか広がっていないということもあるでしょう。しかし、人生においてはそれは異なります。その登り方、つまり自らの人生との向かい方次第によって、その先の景色は如何様にも変わります。少なくとも無味乾燥などということは絶対にない。だから、それを登ることは無謀なチャレンジとは全く異なるのです。

 見えないということは決して不安でも恐怖でもありません。たとえ網膜に映るものがなくとも、断固たる意志・信念というものが、脳に明瞭なピクチャーとして映すのです。

 これを「孤独」または「孤高」どちらの言葉で表現することが適切かは自明でしょう。