キャッチボール(2)

  • 2025.10.23

 本日は前回の「キャッチボール(2025.10.19)」の続きを書こうと思うので、まだそれを読んでいない方はまずそれを読んだ後に本日の文章を読んでほしい。

 組織のおいて人間関係(ここでは組織の立場における上下関係を指す)がうまくいかない場合、多くの人は相手の「人間性」つまり性格や男女の違いにフォーカスを当てがちである。「ホンマあの性格何とかならんのかなぁ?」とか「男の人ってホンマなんであんなんなんやろ?」というのがその例である。(ちなみに、これらはスタッフの私に対する声でもあるだろう。知らんけど・・・)

 しかし、私の考えは大きく異なる。性格や男女の違いを結語として持ってきたとしても何の解決にもならないからである。そんなものは正直どうしようもない、変えようのないものであるから、もっと本質的な原因が隠れているのではないか?それを理解すればきっと人間関係は良くなるのではないか?と私は考えるのである。

 「指示」は決して命令ではない。「指示」は確かに必ず実行されなければならない強制力のあるものだが、ほとんどの人は、「指示」を命令と同じ意味合いで捉えてしまっている。これを、私はしばしば「脳の錯覚」と表現している。

 社会一般の捉え方と私の捉え方が大きく異なる点は多々あるが、組織における人間関係がうまくいかない大きな原因は、この「指示」に対する考え方の相違にあるのではないかと最近私は気付くようになった。

 前回のブログでも述べた通り、指示が命令と同義と捉えてしまうと、それを実行することのみにフォーカスを当ててしまうため、指示を受ける側は「やらされ感」「私たち機械やん」という負の感情が生じる温床となる。

 一方で私の考え方は、「指示は私の考え・意図の表出である」というものである。つまり、指示のバックグラウンドには必ずその「目的」がある。目的のない指示など何一つない。実行そのものよりも「何のためにこの指示が出たのか?」という「目的」にフォーカスを当てることが非常に重要であり、目的を理解せずになされる実行は表面上うまくいっているように見えても、組織の人間関係が崩壊する危険をはらんでいる。

 そのように述べてくると、指示を出す立場である私は、指示を出す目的をしっかりスタッフに伝える努力をしないといけないし、一度だけでなく何度も何度も繰り返し伝え「目的を浸透」させる必要がある。一方で、指示を受けるスタッフは、指示の「目的」を理解するつまり「私の考え・意図」を理解する努力をしないといけないし、理解できない場合にはその点を私に問いかける必要がある。

 これを毎日毎日繰り返せば、組織は絶対良くなるし悪くなりようがないと思う。そう信じているので、この内容の趣旨を少なくとも今年年内いっぱいまで毎日の朝礼で話すのである。