なぜブログを書くのか?
- 2025.03.06
リウマチ患者さんや日本酒好きの人やクリニック等を経営している人など、色々な方が私のブログを読んでいるのかもしれない。今まで面識のなかった人からも「ブログを拝見しています」と言われると、もちろん悪い気はしない。
しかし、私は読者がどのような感想を持つかということに実はあまり関心がない。ブログの良いところは、筆者から読者への一方向性にあり、読者の反応が見えないことである。反応が見えることは良いことでもあるが、無責任な反応にわざわざ煩わされる必要もない。ただひたすらに、自分の頭にあること、書きたいと思うことを書いているだけである。
思い返せば、文章を書くということは洛星中学校の頃から染みついたものであり、中学校一年生の夏季休暇の読書感想文では、原稿用紙数十枚の課題を課せられた記憶がある。自らの頭の中を整理し言語化する作業は、自分にとって特別エネルギーの要るものではない。
なぜブログを書くのか?その問いに対する答えは「自分のため」である。では「自分のため」とはどういうことか?それは「生きた証を残すこと」である。生きた証を残すということで言えば、アルバムもその一つかもしれない。しかし、過去の自らの写真を見てもその時に自分がどのような思考を持ってどのように生きたのかということまでは分からない。ましてや他人がそれを見たとしても、そんなことは分かりようもない。
私がブログに書いていることは、医師として経営者としてそして人としての生き方である。ブログという形で残すことにより、過去の自分がどのような思考でどのように生きたのかを振り返ることができる。そしてその時に設定した未来の目標到達点に自分が到達できているのか、人として成長できているのかどうかを確認することができる。また、行き詰ったあるいは道を外れそうになった時には、その答えは意外にも過去の自分の中にあるのかもしれない。
挑戦しない限り成長はしないし成功もしない。挑戦しない人は挫折を味わうことはないかもしれないが、成長することも成功することもない。今までも何度も言う通り、現状維持という考えは私が最も忌み嫌うものである。孤高に生きるということは、とことん自らと向き合い生きるということではないだろうか?