煉獄瑠火の言葉

  • 2023.01.20

『生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。・・・(中略)・・・弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。』

 生まれ持った才能というのは、人それぞれである。私はしばしば、「全ては遺伝子で決まる」と発言しているが、この語を鵜呑みにされてしまうと、人々の誤解を招いてしまうことになる。

 この言葉には、「血の滲むような努力をやり尽くした場合」という前提条件がつくのである。つまり、敢えて前提条件を述べずにこの語を発しているということは、この前提条件はやって当たり前という考えが私の頭の中にあるということである。

 努力などというのは、して当然のものであって、結果が全てである。医師は『患者さんを良くできるかどうか?』それが全てなのである。少なくとも、頑張ったかどうかは自分が判断するものでなく、他人が決めるものであるから、他人に認められない努力など意味をなさない。

 このような厳しさを自らの課さず甘やかすようでは、自分の成長に繋がらない。両親あるいは御先祖様からの遺伝子に全力で向き合うことにより、新しい自分の能力に気付くことが多々あるわけである。そして、その能力を社会に還元することが、医師としての責務なのである。

 明日は、県外から患者さんが来院される。『患者さんを良くできるかどうか?』それが全てである。(主)