「日本酒」と「人」

  • 2024.09.16

 SAKE DIPLOMA 2次試験(テイスティング&論述試験)まであと3週間となりました。

 私は日本酒が趣味と誤解されがちなのですが、今までも何度も書いている通り、私にとって日本酒は決して趣味ではありません。そのような一面もあるかもしれませんが、少なくともそのような言葉で説明し尽せるものではありません。

 それには理由があります。その一つは、常にチャレンジ精神を失わないという自分へのプレッシャーという一面です。クリニックを経営する上で、これまでもそしてこれからも数々の困難が降りかかります。その際に、常に挑み続ける精神を持ち合わせていなければ、衰退の一途を辿る恐れがあります。衰退とは言わずとも、少なくとも「田舎でも都会と遜色のないリウマチ診療を提供する」「1000人以上のリウマチ患者さんを診る」という目標は達成できないでしょう。試験というのは分かりやすいもので、「合格」か「不合格」しかありません。普段何となく仕事をしていても、「合格」「不合格」ってないんですよね。「合格」を勝ち取るために、必死に勉強する、それが自らを成長させます。日本酒検定にしても、SAKE DIPLOMA 試験にしても、その試験勉強は自らの精神を鍛え上げる良いきっかけになったと思います。

 二点目、それは日本酒というものがワインなどとは異なり、人為的な要素が大きいという点です。ワインには「〇〇年が当たり年」という言われ方がありますが、日本酒にはそのようなことはありません。それは、日本酒の出来の良し悪しが、原材料である「米」の出来栄えに起因する要素が決して大きいわけではなく、作り手の要素が極めて大きいのです。つまり、「日本酒」という作品には、その作り手の意図や想い、メッセージが込めれらているわけですので、それを飲むということはそれを理解するということでもあります。このことが人を理解するということに繋がるのではないかと思うのです。テイスティングという作業は、その本質に迫る手段にしか過ぎません。

 人を理解するということは極めて難しいことです。それは本来双方向性の作業なのですが、「日本酒」や絵画などのように単方向性の作業となる場合、あるいは人同士でも片方がそれをシャットアウトしてしまえば、それは困難を極めることとなります。しかし、それでも相手を理解しようとする心さえあればきっと光が射すに違いありません。