脳の錯覚
- 2025.09.09
本日は、私が最近しばしばスタッフに良く言うフレーズである「脳の錯覚」についてお話をしようと思う。
読者のあなたが私のクリニックに通院中の患者さんであると仮定しよう。予約日を変更しようと思い電話をかけてみたが通話中で繋がらなかったとする。数分してから改めて電話をかけたがやはり繋がらない。その場合、電話をかけた側には、「何で繋がらへんねん!」という感情がきっと生じたに違いない。
ここであなたに問う。その負の感情に果たして意味があったのか?と。あなたが電話をかけた瞬間というのはあなたの都合以外の何物でもない。あなたは受け手側の状況を知る由もなく、そして想像することもなく電話をしている(少しは想像したかもしれないが)のである。受け手側は、目の前の患者さんの対応に追われているかもしれないし、別の電話対応に追われているかもしれない。にも関わらず、「何で繋がらへんねん!」という感情を持ってしまったわけである。そして、そもそも予約日の変更という目的を完遂するにおいて、あなたが電話をかけたその瞬間にそれが成し遂げられなければならない正当性はおそらく皆無に等しい。
このように考えた時に、ベルが発明した(現在はアントニオ・メウッチが発明したとされている)「電話」というものの利便性に、人々の脳が支配されてしまっているのではないかと私は考えるわけである。
「常識」「当たり前」と認識していることが実はそうではないにも関わらず、それから外れた場合に人々は「非常識」「ありえん」と怒りの感情を爆発させてしまっていることが実は以外にも多い。私は常に世の中の常識というものを疑って生きている。「ほんまにそうなんか?」人に迎合して生きることに意味はないと思う。迎合することは自分に自信がないことの裏返しである。群れる人々は自分に自信がないから群れるのである。
自らに降りかかることは決して良いことばかりではない。むしろそうでないことの方が多いと思うし、良いことよりもそうでないことに人の心は囚われ引きずるものである。そんな時に「ひょっとして脳の錯覚じゃね?」と思考を転換する技術を身に付けると、同じ状況に出くわしてもその捉え方を180度変えることができる。生き方を変えることができるのである。自らに降りかかるものを変えることなんてできないわけだから、物事の捉え方を変える努力を日々していこう。自らの人生を幸せにしてくれるのは他人ではない。自らの人生に対する向き合い方次第なのである。