『一枚起請文』

  • 2022.11.23

 我が家は浄土宗であるが、父が亡くなるまでは実家には仏壇はなく、それまでは宗祖が法然上人であるという小学生の時に習った知識ぐらいしか持っていなかった。

 父が亡くなったことをきっかけに、浄土宗について学ぶ機会を持ったわけであるが、『ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して疑いなく、往生するぞと思いとりて申す外には別の子細候はず』と法然上人が死の直前に遺した『一枚起請文』の中にあるように、専修念仏を教えの旨とする。

 結果が出ない時、その原因の多くは、自分の努力が足りないかやり方が間違っているかのどちらかである(2022.11.05:物事を成し遂げる力)

 それでもダメであれば、自分に才能がないか自分のやろうとしていることに社会的ニーズがないかのどちらかなのだろう。

 とことんもがいた者には、阿弥陀如来様は手を差し伸べてくださるのだろうか?出口の見えない隧道はしばらく続きそうである(主)